12℃

今日は一日中寒くって頬に触れた落合さんの鼻先は冷たかった 忍者の授業をする塾の話をしてくれたので用意していた二万円は結局渡せずじまいとなってしまった ここは今日に限ってエアコンが壊れているらしい 雁の足はチョコレート 軽く引っ張ると離れる青白い数多の手足は燃えて燃やされて塗り込められた 視線に焼かれて僕はようやく人の形を保つから僕自身にすら見つけられない眠りの中ではあるいは外では僕は液体となってベッドからこぼれて滴り落ちた 苦くも甘くもない あたたかい 僕の知らない僕の子どもは眠りの中で発酵し今も膨らんでいる 未だ目を開かない僕の子ども 山には方向があるが森には無いのだよ 飲み込んだ 消えた 眠れなかったのにあなたは 泣いた くだらないことでわたしは 今日は一日中寒くって濡れた靴下はなかなか乾かなかった

クレンジングバーム

クレンジングバームをすくい取るときがいちばん一日という単位を実感する。付属の小さなスパチュラひとすくいで一日分。蓋を開けると一日前の跡があるので、その横に新しい跡をつくる。君は一年をどう測る?と歌う歌があったけれど、愛なんかよりもやっぱりクレンジングバームかも、いやでもちょっと生活感が強すぎるような、とか考えながらぬるぬると顔に広げる。

気がついたらまた洗面台の前にいる。「気がついたら」じゃない。よく間違える。ちゃんと一日前に顔を洗ってから、シャワー浴びて夜ご飯食べて髪乾かして眠って起きて仕事着に着替えてSuicaかざして仕事してSuicaかざして買い物して腕時計外した、今の今までちゃんと意識はありました。一日の始まりは朝じゃなくてメイクを落としているこの時間なんじゃないかな、とか考えながらぬるぬると顔に広げる。

22/09/04

暑い夜。どこか、アジアの騒がしい街の、食堂の入り口横のテラス席に座っている。5、6人での旅行中のようだった。料理が出てくるのを待っていると店内から叫び声が聞こえた。そのあとすぐに銃声らしい爆発音が聞こえたので地面に伏せる。人が出たり入ったりする。再び銃声。黒ずくめの人物が入り口にビビットカラーの缶を置いた。置かれた缶の向こう側にいた、同じように伏せている友人と目が合った。flameという文字が見えてとっさに顔を背けた直後、ものすごい爆発音がした。
おそらく間近で爆弾が爆発したにもかかわらず、私は生きていた。無傷だった。一緒にいた友人たちもみんな無事のようだった。何も持たずにその場から逃げる。私は逃げていく人たちの列の最後尾を走る。最後から2番目にいた友人にパスポートは持ったかと聞かれ、身につけていたポーチに入っていることを確認した。街灯に照らされた道がそろそろ終わる。

見たことも発砲音を聞いたこともないのに銃の夢をよく見る。

涼しい夜。困ったときには眠れない夜に手を洗う人のことを思い出すようにしている。手が冷えたら不思議と眠れるのだと言う。私はそうでもないけれど。あなただけのおまじないを少し盗む。

22/07/03

都会で知り合う人たちのほとんどは田舎から出てきた似非都会人なので、結局のところ如何にどちらが都会人らしく振舞えるかというのが、垢抜けているかどうか、ひいては魅力に係る問題になるのです。訛りが抜けているのはもちろんのこと、いろんな良いお店を知っているとか流行りの服を着ているとか、そういうところで静かに競い合っているのです。衒学的に笑ったりもします。

都市住民のほとんどが似非都会人であるため、目指している「都会人」は実在する人々というより理想状態を指していると考えるのが自然です。また当然ながら、都会的であることはその人の魅力の唯一の要素ではありません。それでも。

ちなみに、私たち似非都会人はそれでいて都合良く田舎を利用します。そして似たように、本当に都会で生まれ育った人は田舎に憧れます。故郷と聞いて思い浮かべるのは田畑に走る農道、裏山の烏、海の向こうに沈む夕日が良い。家庭を持つなら広々と暮らせる町がいい。似非都会人はその瞬間向けられる羨望の眼差しに真の都会人を発見し、うんざりします。うんざりしたような態度を取りながら、深く嫉妬しているのです。

そんなことを考えていたら既読をつけてから2週間が経っていた。

あの人も都市を模倣していた。型取りされた街を案内してくれるので私は曖昧な足取りでついていく。指の先よりも熱い肩を通じて、いつも表面的なことしか教えてくれないですね、とあの人は言うけれど、そうだろうか。そうなのかもしれない。しかしそれにしても、どうしてみんな最近泣いたのはいつかという話をするのだろう。泣いたときの話をすれば内面を明かしたことになるのだろうか。そうなのかもしれない。あの人の故郷の名前を私は忘れてしまった。

湖へ

あり得る場所。砂漠、洞窟、海辺、空き家、車内、プール、雪原、ショッピングモール。どこを探しても誰もいないし、私たちはそこから出られない。でもそれで良くて、なぜならそこへはいつも逃げるように辿り着くから。あの子が抱えている湖は冷たく深く澄んでいる。

ヒペリカム、と声を出していた。ヒペリカムって何だっけ? 冷めた桃の香りの紅茶の隣で眠りかけていた。朝の方がよっぽど眠たいと思いませんか。映画を見終わったのはちょうど5時だった。最近は日の出が早い。一眠りしてから、泳ぎに行くことにした。

湖のことを考えていたからか温水プールがあたたかく感じた。子どもに泳ぎ方を教える父親たち、お友達と水中歩行する女性たち。どこまでもあたたかい柔らかい波。私はきっちり1時間半泳いで髪を乾かして、家に帰って洗濯をして、ゲリラ豪雨を聞きながらまた眠った。うっすらと塩素が香る。今日も夢を見ない。しばらく夢を見ていない。

いつからか白い枝を探している。言い当てられたような気がした。それが白く滑らかな肌の下にある骨だったら良いのになと思って、肩甲骨から肩の頂点を通って鎖骨までぐるっと指先でなぞったら、今度はこちらが頬から顎までの線をなぞられる。足の切り傷は避けて爪先へゆくその人は変な絵文字を使う。

ヒペリカムではなく、芍薬を食べてみたい。生の花弁を口いっぱいに詰め込んでみたい。あの日、階段を踏み外したのは暗示のようなもので、きっと私はあれからずっと間違っている。

おまじない

僕の混乱は収まる気配がなくむしろ発散の傾向にありもう春ですからねと恐ろしいおまじないなどを食みながら木蓮をまじまじとみる。小学校の裏庭に木蓮が植わっていたということは憶えていてもそれがどんな色で形でどんな枝の伸び方をしていたか肝心なことはいつも思い出せなくてなんだかなそんな記憶にどんな価値があるだろう、補完されていく、吸い込むには多すぎる多すぎる空気が吹いてくる! 愛かもしれないねっと呆気ないおまじないなどを嗅ぎながら新しいマスクを着ける。