22/07/03

都会で知り合う人たちのほとんどは田舎から出てきた似非都会人なので、結局のところ如何にどちらが都会人らしく振舞えるかというのが、垢抜けているかどうか、ひいては魅力に係る問題になるのです。訛りが抜けているのはもちろんのこと、いろんな良いお店を知っているとか流行りの服を着ているとか、そういうところで静かに競い合っているのです。衒学的に笑ったりもします。

都市住民のほとんどが似非都会人であるため、目指している「都会人」は実在する人々というより理想状態を指していると考えるのが自然です。また当然ながら、都会的であることはその人の魅力の唯一の要素ではありません。それでも。

ちなみに、私たち似非都会人はそれでいて都合良く田舎を利用します。そして似たように、本当に都会で生まれ育った人は田舎に憧れます。故郷と聞いて思い浮かべるのは田畑に走る農道、裏山の烏、海の向こうに沈む夕日が良い。家庭を持つなら広々と暮らせる町がいい。似非都会人はその瞬間向けられる羨望の眼差しに真の都会人を発見し、うんざりします。うんざりしたような態度を取りながら、深く嫉妬しているのです。

そんなことを考えていたら既読をつけてから2週間が経っていた。

あの人も都市を模倣していた。型取りされた街を案内してくれるので私は曖昧な足取りでついていく。指の先よりも熱い肩を通じて、いつも表面的なことしか教えてくれないですね、とあの人は言うけれど、そうだろうか。そうなのかもしれない。しかしそれにしても、どうしてみんな最近泣いたのはいつかという話をするのだろう。泣いたときの話をすれば内面を明かしたことになるのだろうか。そうなのかもしれない。あの人の故郷の名前を私は忘れてしまった。