湖へ

あり得る場所。砂漠、洞窟、海辺、空き家、車内、プール、雪原、ショッピングモール。どこを探しても誰もいないし、私たちはそこから出られない。でもそれで良くて、なぜならそこへはいつも逃げるように辿り着くから。あの子が抱えている湖は冷たく深く澄んでいる。

ヒペリカム、と声を出していた。ヒペリカムって何だっけ? 冷めた桃の香りの紅茶の隣で眠りかけていた。朝の方がよっぽど眠たいと思いませんか。映画を見終わったのはちょうど5時だった。最近は日の出が早い。一眠りしてから、泳ぎに行くことにした。

湖のことを考えていたからか温水プールがあたたかく感じた。子どもに泳ぎ方を教える父親たち、お友達と水中歩行する女性たち。どこまでもあたたかい柔らかい波。私はきっちり1時間半泳いで髪を乾かして、家に帰って洗濯をして、ゲリラ豪雨を聞きながらまた眠った。うっすらと塩素が香る。今日も夢を見ない。しばらく夢を見ていない。

いつからか白い枝を探している。言い当てられたような気がした。それが白く滑らかな肌の下にある骨だったら良いのになと思って、肩甲骨から肩の頂点を通って鎖骨までぐるっと指先でなぞったら、今度はこちらが頬から顎までの線をなぞられる。足の切り傷は避けて爪先へゆくその人は変な絵文字を使う。

ヒペリカムではなく、芍薬を食べてみたい。生の花弁を口いっぱいに詰め込んでみたい。あの日、階段を踏み外したのは暗示のようなもので、きっと私はあれからずっと間違っている。