寝息

それは透明だけど透明じゃない。

彼女の寝息には色がついている。空気よりも少し重たくて、ベッドを滑り落ちてしばらく床の上に漂う。

私はこの不思議な現象をたまたま見つけた。話し込んでいたら終電を逃して、なんとか歩ける距離にある彼女の部屋に泊めてもらった夜のことだった。私たちは、年に数回居酒屋に行くくらいには仲が良かったが、それまでお互いの家に行ったことは無かった。

「ごめん、ベッドじゃないと眠れないんだ」彼女は申し訳なさそうにそう言って、私の為に長めのクッションと毛布を用意して、彼女のベッドの隣に敷いた。

灯りを消して、おやすみも何も話さないまま、彼女は寝息を立て始めた。もう寝たのか。きっと修学旅行とかでも真っ先に眠っていたのだろうな、などと考えながら、私は暗がりの彼女の部屋を眺めていた。

だんだんと眠たくなってきたころ、生温い空気が右頬にあたった。ふと右上を見上げると、ベッドからこちらのほうへ靄が降りてきていた。煙のようにも見える。彼女はそれに気づいていないようで、すうすうと安らかに眠っている。

温かさの正体はやはりこの靄だった。少し湿っぽくて、周りの空気とは違って透明じゃない。しかし何色ともいえない。私はただ、これには色があると直観した。

立ち上がり、靄の発生源を探した。加湿器か何かだろうと思っていた。しかし探すまでもない、それは彼女から発生していたのだった。彼女がすやすやと眠っている、その少し開いた唇の隙間から、じわじわと溢れ出ていた。

寝ぼけていたのかもしれない。ああ、これは彼女の寝息か、と納得して再び横になった。怖いとも変だとも思わなかった。彼女と私のあいだに仄暗い寝息が雲海のように漂っている。そう思うとなぜか安心できた。とても静かな夜だった。

翌朝、彼女は7時になっても目を覚まさない。床に溜まった彼女の寝息は朝日にあたると白く光った。