私信

前略

私はちゃんとした人間ではなくて、UNICEFの募金を募るお兄さんと話して月三千円の寄付を検討しているふうに軽薄にお話ししているだけなのです。むかし慕っていた人に今はもうそうではないと仄めかすいやな奴なのです。せっかく与えてもらったヒントだって気付かないふりをしています。もっと、文字にもできないような、悪い気持ちを持っていたりもします。私自身わたしがいやになるんです。だからどうか買い被らないでください。

一昨年の秋に亡くなった祖母と祖父のLINEだけお気に入りとして登録しています。祖父は健在ですが、未だにLINEに慣れていないからビデオ通話をかけても出てくれません。祖母が亡くなったときのこと、大したことは覚えていなくて、折詰の冷めた蟹グラタンの不味さとか覚えているのはそういう、どうでもいいことばかりで。祖母のことは正直苦手でした。祖母は私の母の母ですが、私のことを父方の血を濃く引くものとして何となく遠ざけるような、そんなところがありました。それでも私は未だに祖母の声が忘れられないのです。祖母が生理現象のように流す涙とか厚い爪の白さを覚えています。

ひょっとしたらわたし実はなんだってそんなに好きじゃないのかもしれません。

言葉にしたら大体のことが本当らしくなっていきます、知っていましたか。それは何かを信じたいときに形があったほうがやりやすいのと似ているとか思ったりします。どうか健康でいてほしい。これからもそう願い続けることにしました。

深夜のカラオケまでの道を思い出すことがあります。もう何次会かもわからない。車が通らないことをいいことに道いっぱいに広がって歩きます。薄暗い部屋で歌番組で聞いたことのある曲ばかりが流れて歌って、だんだん素面に戻っていく。疲れ切って朝四時、寒がりながら家に帰るそのときに、寂しくならないように。そういう時のために信じるものが欲しいです。あなたによって私たちがあるのではなく、私たちがよく生き延びるためにあなたがあるのだと思いたい。

栄養失調の子どもたちは私たちの指二本分の太さの二の腕のまま、今晩は何を思っているだろう。どんなベッドでどんな服で誰と一緒に眠るのだろう。呼吸を揃えたら同じ夢が見られます。