21/11/19

その人が昨日何を着ていたか、ちゃんと思い出せなくて、それがどういう意味かを考えていた。込められた意味があればいいと思うようになったのはいつからだろう、もう惰性で思っているのかもしれない。電車の窓から見える風景は生活を忘れた抽象画になって、気がついたらあと一駅で最寄り駅に着く。

こぼれた牛乳を指で拭う。細く伸びる白いUを思い浮かべて夢を見ている気分になる。夢だったのかもしれない。私は生活の話がしたい。野望も真理も生活のために使いたい。小さくあけられた隙間からあふれる泡が透明になる時、その人は眠っている。ようやく息を吸い安心する私はもうどうでもいい。

言葉が世界を写し取ろうとしているのか、それとも言葉が世界を形作るのか。シュークリームの日にシュークリームを食べる約束をするということ、エクレアではだめだということ。言葉にならない事柄も曖昧な言葉の箱に放り込まれるから、どちらが先かなんてもうわからなくて、そして多分どちらでも良くて、それでも句読点で怒ったり慮ったりする繊細さで暮らす文字生活ではその広大さを前にして戸惑ってしまう。冬の夜の匂いを鼻腔に作り出す訓練をする。