黒い犬と

・例えばそれぞれに決まった寿命があるとして、どこまで生きてきたと思う? 私たち80とか100まで生きられるかな。生きられそう。でも実はもう人生半分過ぎていたりして。あと8分です、って余命宣告されるコントあったよね。私はあと何分なんだろう。君は、あとどれくらい残っているつもりでいる?

・葉脈がその木全体の姿をあらわしているってどこかで読みました。

・もしも不死だったら時間の使い方は変わっていただろうか。死んだことのない私は不死でないとなぜ言える? 不死の存在ってどうやって自分が不死だって知るのだろうか。やはり一度死にそうになるのだろうか。誰かにあなたは不死ですよって教えてもらうのだろうか。年を取らないタイプの不死だったらなんとなく自分の不死を信じられるかもしれないけれど、身体がしっかり衰えるタイプの不死だったら初めて死にそうになるまでわからない気がする。

・ある程度先の未来のために毎分毎日毎年生きている。点は存在しなくてどうしても面なのだとすると、未来のために生きることは当然のことかもしれない。それに、貯金とか勉強とか健康とか、積み重ねた物事はだいたい役に立つ。でも時々、未来という言葉が馬鹿らしく思える。「ある」ものか。今と未来って何が違うのか。何を目指してどこへ向かっているのか。ここも目的地なのではないか? 過去に生かされながら未来のために今を生きているとも感じるけれど、結局それは言葉があるからかもって思ったりもする。

・今が積み重なって私の人生なのだとしたら、今だけ頑張ればここを乗り越えればという考えでごまかすのが怖い、という瞬間が増えた。夏だからでしょうか、暑苦しい。

・それは日々を積み上げることが面倒なだけではないですか。積み上げて完成しないことを、完成させられないことを、怖れているのではないですか。理想形を決められていないから短期的な充実感に拘泥するのではないですか。 

・足元で眠っていた黒くて大きな犬が、私に語りかける。犬は聡く優しく、それは毛並みの艶やかさに表れている。その犬の言葉をすべて聞き取れればいいのに、私にはできない。私と犬はあまりに静かすぎてうるさい部屋にいる。怯えながら次の言葉を待つ。喉の奥がきゅうと痛む。頬の裏に水が溜まる。