不透明・白黒

からだが固まる気配がした。金縛りのときに空を飛ぶイメージをするとその通りに飛べるという話を聞いたので、実践してみようと、まずは全身を意識した。すぐに身体はこわばり、動けなくなる。上に、上に、浮かぶ、ずれる、ずれている。飛んだあとってどうなるのかしら。横たえたまま布団から5センチ浮いている。本当の身体と私がちょっとだけずれている。

怖がりだから30秒も経たずに戻りたくなった。戻りたいと思ったとたんに苦しくなる。腕に力を入れて無理に動かしてみる。腕は動いた。目が開かないまま、鼻筋をなぞって顔の形を確かめる。口をこじ開けて息を吸った。目が開いた。左手を見ると指先が消えていた。断面はぼやけて、見えないはずの背景が見える。私はまだずれている。

しばらくして硬直が解けて、体勢が金縛りになる前と変わっていないことに気がついた。私は息を吸おうと口を手で開けたのではなかったか。左手を見ると不透明の指先があった。

暗い台所で大きな鯉の頭を叩き切る男は歪んだ微笑を浮かべる。彼は私が見ていることを知っているのか知らないのか、誰かに話しかけている。

私たちには二つの世界があった。恋人たちは別の世界を生きていることに気付いていない。ちょうど重なっている時間を信じているのだ。

街を歩いていてマスクを着けていない人を見かけると一瞬どきりとする。それは「感染予防」の文字が思い浮かぶからでもあるが、その人自身を直視してしまった気がするからというのも理由の一つとしてある気がしている。

アニメあたしンちのオープニングを思い出す。立花家の4人はメインキャラクターらしく大きくカラーで描かれるだけでなく、グレーでも描かれる。名もないキャラクターの背景としてグレーとなるとき、彼らはその他大勢のひとりとして――しかしカラーの時と変わらず――スーパーで買い物をしていたり帰宅ラッシュに揉まれていたりする。カラーとグレーは、両立している、というか地続きになっている。日常の細やかなおかしみを描く作品のオープニングとして、とても良いなと思う。本来はグレーなのだ、スポットライトを当てることでカラーになっているのだと気付かされる。

私はカラーのつもりで日々過ごしていて、でもほとんどの人にとって私はいつもグレーで、私がグレーとして見過ごしている人たちは一人ひとりがカラーで、と思うと目が回る。だから普段はそういうことを忘れているのだけれど、例えばマスクを着けていない人を見かけたとき、その人がカラーだということを思い出す。誰もがその人にとってはカラーなのだと意識させられる。

外出時にはマスクを着けることが「普通」となった今では、いちいち意義を考えることなくマスクを着けている。大多数がマスクを着けているからマスクを着けていない人は目立つし、マスクを着けないことは「普通」じゃないから、「普通」じゃない状態を選択している理由を想像することを、より意識しているのだと思う。それは歪んでいるかもしれないけれど、それまでのっぺりとした背景だった人々が急に粒立って見えるスイッチとなっている。スイッチはいつの間にかOFFになって、またちょっとしたことでONになって、少しつかれる。