他人として

嫌な目をしている。

その人は卒業アルバムをめくって、生徒の顔と名前をひとりひとり確認するように見ていく。このクラスではこの子が人気そうだけどあたしはこっちの子のほうが好きだなあ、この子はサッカー部って感じの顔している、あれ、この子、あなた小学生の時に同じクラスだったでしょ、こんな顔だった? なんだか嫌な目になったね。

朝起きて鏡を見て、あ、今日は嫌な目だ、と気がつく。その人が言った嫌な目とはどんなものか分からないけれど、いつからか私のなかにも嫌な目のイデアがあって、そしてそれは決まって鏡の中の自分を見たときにしか思い浮かばない。自分の目の状態しか分からないといったほうが正確かもしれない。顔が浮腫んでいるとか化粧の仕方とかは関係ない。ただ嫌な目なのだ。嫌な顔でも嫌な目つきでもなく。

嫌な目はどうやって直そうか。「女生徒」の私のように、美しい夕空を眺めればいいのだろうか。美しい夕空を映したから目がよくなるのか、いい目が夕空を見るから夕空が美しく映るのか、どちらを信じたらよいのかわからなくて、それだから私はまだ嫌な目をしている。

Aちゃんのお母さんが家に男を連れ込んでいるとかそんな話をしているのと同じで、その人が同級生の目を嫌な目だとみなしたことが、その発せられた言葉という事実がとても悲しかったのに今では、嫌な目というものがあることがなんとなく分かって、そしてそれは私の目であって、誰も嫌いになりたくない、その人もあの子も私でさえも嫌いになりたくないと思う。