無言に込めて欲しい

温かくなっているデスクライトを撫でている。白くてすべすべしていて、生物未満の命の気配がある。

ここ数日、暇があればずっと東京事変「命の帳」を聴いている。同バンドが今年発表した曲の中で一番好きです。触れた肌から相手の内側を知り、触れることによって自らの愛を伝える。コミュニケーションの一手段としての接触が聞き取れます。

他人に触れにくくなった2020年です。社会的距離って結局のところ何なのだろうか。ニュースを見ていたら小池都知事IOCのバッハ会長が肘タッチで挨拶していた。会談の内容はともかく、握手より肘タッチのほうがわちゃわちゃしてて仲良くみえる。

肌に触れることが稀になった世界では、触れる行為に付与される意味がそれまでよりも大きくなるように思います。いや、そうであってほしいと私自身が願っているだけかもしれない。「なぜ僕の肌へ触れるの」という歌い出しの問いは、「僕」の肌へ触れる「あなた」の指に意味があってほしいという期待、かつ「僕」が「あなた」へ触れる時には意味があるという主張が込められてはないだろうか。膨らましすぎ?

恋人じゃなくても家族じゃなくても触れたいなと思うときに触れたいですが、関係性の名前が何であれ相手が触れてほしくないときには暴力になってしまうので難しい。そもそもどうして触れたいと思うのだろう。「ただ少し冷えたからとか漠とした虚しさとか」? 言葉よりもよく伝えられると期待するからだろうか。受け取ってくれるだろうか。私は受け取れるだろうか。

今年は人からのお誘いに対してなぜ?ではなく嬉しいと素直に思える人になろうと決めていたのだけど現時点での達成率は微妙なところ。