執着

Etta Jamesが歌うやたらと長いI'd Rather Go Blindを聴きながら準備した。Beyonceもいいけどこっちのほうが好き。なんてソウルフルな雨降りの朝! 偶然か、今日のバイトの一番最初のお客さんはEtta Jamesに似ていた。ハンバーグ弁当を買っていかれた。

昨日と一昨日で映画を五本も見た。Netflixヘビーユーザーである。流し見していてもどこか一つ気になったシーンがあると自然とその映画は印象に残っている、気がする。ということは無理やりでもどこか好きなシーンを見つけていったら、自分の中にこれまで見た映画がストックされていくのでは?という安直しかし切実な考えをもっている。二十二年間生きてきて、体感として、思い出せることって結局気に留めたことであることが多くて(見逃していることはやはり見逃しているので思い出せなくて想像するしかない)、その中でも特に記憶に残っていることは何度も思い出して反芻したことではないかと思っている。

友人と同じ思い出を共有していても、どこが一番印象に残っているか・解像度・色彩は違っている。だから思い出話は楽しいのだと思う。覚えていることが一致していたら嬉しいし、違っていても話を聞くことで思い出が拡大される。

記憶の反芻には記録が有効。最近になって観た映画を感想とともに記録するようになった。もっと早く、小学生くらいから始めていたら良かった。感動を零して失くしてしまうのが悔しくて記録に執着しすぎている。日記も同じ理由で書いている。瞬間が惜しい。日常に関しては何を忘れてしまったかわからないのに。

卒業式が新型コロナウイルス感染拡大を理由に無くなるかもしれない。引っ越しが実質的な区切りになりそう。