望遠鏡、お説教、透明度、ご名答。桃源郷? 金平糖? 要検討、としたってどうしたって負け。ほうけていたら切り傷のような二月は鮮烈、しゃらしゃらと鳴るゼムクリップの冷たさに救われて、いくつもの正しい曇り空、スノードームのその目を嫌う。そうすれば自分を簡単に守れるような気がした。
「死ね死ね星人が来るんです」とその人が言った。「耳元でね、死ね死ね死ねって囁く声が聞こえるんです。それで、ああ来たな死ね死ね星人、って」そうして再現された囁き声の細やかな息を、何度も頭の中で反芻した。文字にするときっと8pt.くらいの、小さな呪いの群れが、その人を襲う。カフェ・ベローチェの6人定員の喫煙ブースはいつだって満員で、自閉式ドアは忙しなく音を立てる。
なけなしの感嘆符、サテライト、ばたんきゅー。音のない暗闇を周回軌道に乗って進む衛星が、もしも寂しがっていたら私はどうしよう? 月に降りた探査機は太陽を浴びて働き、夜が来たので再び休眠に入った。冷たい岩の上で広がる大いなる眠りの中では、金平糖やゼムクリップやスノーフレークや小さな呪いの文字それらすべて肩に散る火花と見間違う。
23/10/--
深く吸い込むと指先が冷たくなる。“Food and water, two essentials.” AFNは1時間ごと、3分間だけニュースを読む。指先が冷たい。“The Eagle, serving America’s best.” 煙のような光が降る道を走らせる。窓を開けて車内の空気を新しくする。
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いつかあなたは郵便局員で、良く晴れた秋の日、バイクに乗って午後の配達へ出かけている。銀杏並木の黄色い道を走っていると、横から車が出てきた。危ないと思った瞬間、バイクはなぎ倒され、あなたの身体は地面に強く打ち付けられる。倒された勢いで蓋が開いたのだろう、郵便物が地面に広がっている。生暖かいものがあなたの頬を伝い、冷えていく。朦朧とする意識の中で、眼前の光景を美しいと感じている。銀杏と手紙が散らばった道に爽やかな風が吹いた。
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“Food and water, two essentials.”
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もしもし、こちらは真夜中、ライブカメラが映したのは砂色の夕暮れで、飛行機と風の音だけが聞こえた。20分も経つと暗くなって、地面と空の境界を見分けるのが難しい。遠くにたった一つだけ灯りがついている。世界で49人が同じ画面を見ている。暗闇と朝日を待つ街を眺めている。カメラの背後にいる人のため息が聞こえたあと、カメラはズームアウトして街はより広く映された。灯りが一つだけじゃないことを知ったのは、世界で37人だった。
私は眠らなくてはならない。水を飲まなくてはならない。
また指先が冷えている。
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月は、空に開いている穴です。のぞき穴かもしれないし、通気孔かもしれない。大きな指が穴を塞いで、そして開きます。満月の夜、光が差す方をじっと見つめていると―本当によくよく見つめていると―あなたは吸い込まれて、外へ放り出されてしまいます。
「外ってどこ?」「どこでもない。僕たちには知り得ない。ただ穴が開いている、僕たちの頭上に開かれている。今はそれだけで安心できる」
25歳
マスクを外すと別の意味で怖がられた口裂け女はマスクを外さなくなった。夜中、道で出会ったその人は、白いマスクが外れたことには気がついたが、口が耳まで裂けていることには気がつかなかったのだ。「ちょっと、なんですかやめてください、近付かないでください」「反マスク反ワクチンって感じですか」と言われた。マスクをして鬱々と街を歩いていても、もう誰も不審な目を向けてこない。そういえばポマードをつけている男なんてもういなくなった。今はみんないい香りを纏わせている。
私、綺麗?と訊くこともなくなった。あるとき、口が裂けているところを見せても、「あなたはそのままで美しいよ」「ルッキズムに囚われているのは勿体ないよ」と美しくて賢そうな人たちに言われて、恥ずかしくなったから。それでもまだ、目元を整形できる、生きている女の子たちが羨ましい。最近は簡単な整形が流行っていて、失敗することはそんなに無さそうだ。私はずっと25歳だけど、ずっと死んでいる。今もし生きていたら生きやすいのかもな、でも今は生きづらいな、死んでいるけど。
マスクを外して街を歩く人が増えてきても、口裂け女はまだマスクを外せない。マスクを外さない口裂け女に「外せばいいのに」と意見する人はいない。誰も彼女に気がつかない。
on the sunny side of the street
Esperanza Spalding performing "On The Sunny Side Of The Street" (2016) という動画を久しぶりに見た。ずっと前に高評価をつけていた動画だった。元々好きな曲だったけど、こんなに楽しそうに素敵に演奏する人がいるんだと思って、一時期ずっと気に入って聴いていた。
そういえばこの前旅先で入ったジャズバーでもこの曲を聴いた、と思い出す。
「私はいつも比較的明るい方に立っている」というメモを過去の日記の中に見つけた。書いたときのことをよく覚えていないけれど、たぶんそうなのだと思う。「自分の幸福について語るときにはひかえ目でなくてはいけない。あたかも盗みをざんげするかのように告白しなければならない」と日記に書いたジュール・ルナールのことを考えている。
四月
朝遠く人身事故の文字ひかる その都度きみを思い出してた
凍らない海を見ていた(この先も)アンナ死ぬれば吾は生かされむ
わたくしと致しましても諦めて春に臨んでゆく所存です
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妹はシンディ私はマドンナと言われ育った呪い解けずに
父からの花束は枯れしもつやみ 春の終わりに花瓶は濁り
投げられし爆発物は誰がために生まれ責められ燃え尽きますか
君よりも早く起きるよ君のこと嫌いにならないようにつとめて
大丈夫ですかと訊かれたときから大丈夫ではなくなったのです
白波のよる夢の世で生活しきらめく水は優しく聴けり
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自らの言葉で世界は固められ、他者の言葉で世界は解かれる
箱庭では
・「俺も生きていると思うよ」と、隣の席に座っている男がその向かいに座っている女に言った。
・窓の写真集を眺めているとだんだん、室内にいる誰かがこちらに気がついてくれるのを待ち続けているような気がしてきて、涙が出てきてしまう。
・月が黒い画用紙に開いた穴のように見える夜にはいくつか条件がある。
・0倍を持ったその人もまた宿営の外に運び出されたのち、荒野を進んだ。
・佳日、木製のWELCOMEが捨てられる。
・手間をかけて、手間をかけて、手間をかけて、君は見つけ出す。
雨はやみます、やみます、やみます、とのこと。